平成26年2月22日付 神奈川新聞 照明灯から抜粋
15代将軍・徳川慶喜の指南役を務めた改革派の学者である。
山田方谷(ほうこく)を知る人が増えてきた。
▼県議会では黒岩祐治知事が自らが進めてきた財政健全化を説明する上で引用した。
教えを生かそうという国会議員連盟も発足している。
ネットの掲示板「山田方谷マニアックス」には全国各地のゆかりの活動が紹介されている。
▼方谷は備中松山藩(現在の岡山県高梁市)で藩主・板倉勝靜(かつきよ)の下、破綻状態の財政を立て直した。
河川改修など大規模公共事業の実施、鉄製品など特産物の開発といった七大政策は財政再建の手本とされる。
後に筆頭老中に就任した勝靜とともに幕政にも携わった
方谷は「事の外に立つ」との言葉で大局的な視点を説いた。
加えて「事の内に屈しない」とくぎを刺している。
改革とはいつの時代も「内輪の論理」との闘いだ。